少年野球の先にある未来の扉を開けよう

学童野球ではエース、中学硬式ではショート、ボーイズ県選抜の息子と悪戦苦闘した経験を踏まえ体育大学体育会陸上部出身のお父さんが体育理論を基に野球を客観視した情報を綴っています。

野球指導の先にあるもの

小学生時における野球指導の本当の目的は何かと言うことですが、そもそも野球はゲームであり遊びです、みんなと体を動かし遊び感覚で体力を増進するこれが底辺のベースにある目的です、しかしスポーツは競い合うもの必ず勝者と敗者が存在します。ゲームは勝つから楽しいと言うこれも遊びの原点です、勝てないより勝てた方がいいに越したことはありません。大会で優勝する多くのチームで競い一番になることはそのチームに属するメンバー全ての喜びに変わります。

体力増進による楽しいから努力の先にしか味わえない喜びの獲得を比較するとそれは努力と言うのプロセスを重要視するかしないかの違いです。

しかしこの勝利というものが盲目になる原因にもなり得ます、それは勝利に重きを置きすぎるが故に無理を強いて勝利に向かおうとする、

それは子供が納得しない感情による叱責、成長を妨げるかのような過度な練習、勝利と引き換えに代償とする考え方です。

しかしそれも正解のように思えません、本来あるべき姿は体力をバランス良く増進させ健康に成長期を過ごすことが人としての重要な要素です、そこに努力の先に見える成功、努力の先に見える技術習得、皆で努力した友情、難しい課題には長い期間を要しコツコツ積み上げることの重要性を学ぶこと、野球部という社会を通じて大人へ成長する人間関係を学ぶなどこのサイクルを学ぶことが最も重要に思えます。

これは勝利を否定するものでなく、適切なプロセスを通じてまた時間をかけて無理なく指導するという原則を元にその先に栄光があるという考え方です。

適切な負荷は適切な回復を示し成長を促します。戻れない犠牲の上に獲得しなくてはならないと言う覚悟はもう少し年齢を重ねてからでも遅くないと思います。

指導者は正しいプロセスを通じた技術指導を心がけ、成人に向かう成長期にある子供をいかに正しいルートで心身ともに成長させるかと言う重要な役割を担っていると考えています。

これが野球指導の先にあるものだと思います。